2014年11月9日日曜日

九十九里町手記(96)

少し時間が空いてしまいましたが、今回は「自由大学」について、私の考えるところをお話させて頂きたいと思います。


発端は、東京電力福島第一原子力発電所の事故から、災害に備えて九十九里町に植物工場を作ってはどうかと考えたことでした。 植物工場では、災害時に野菜と飲料水を供給することができます。  また、工場内部は環境を制御できるようになっているので、一時避難場所としても活用できます。


ただし、単にお金を使って植物工場を作ったとしても、そこに暮らす人々が継続的に必要としない施設に意味はないとの考えから、住人自らの手で子々孫々まで繋げるための計画を立案し、住人自らの手で必要な施設を作る方法を確立する必要が生じます。


そのためには、一握りの専門家と呼ばれる個の知ではなく、そこに暮らす人々による集合知が大きな役割を担うのではないかと考えました。 勿論、植物工場を作るために専門的な知識は必要です。 しかし、その道の専門家がその町の住人であるということは稀でしょうし、ましてや子々孫々までの事を考えに入れるかどうかは難しいところでしょう。


前置きが長くなりましたが、要はそこに暮らす人々が、自らの意思により専門的な知識を習得できる場を、自らの手で用意しようというものです。 そして同時にそれは、習得した知識(技術・技能)を、人から人へと繋げて行く場でもあります。


※ 次回は、「自由大学」を実現するための具体的な活動について、考えてみたいと思います。