Webで、農林水産省・経済産業省による「植物工場の事例集 平成21年
11月」という資料が目に留まりました。
ここには、私が考えていたことを、殆どそのままに実現していらっしゃ
る方の事例が紹介されていたので、何となく嬉しい気持ちになりました。
それは、埼玉県秩父市にある、株式会社野菜工房です。 以下に、その
内容をご紹介しておきます。
----
TSファームを開発したキューピー(株)で食品開発技術者だった現社長
が、「これからの地域社会には、定年退職した高齢者や障害者が地域の
中で働く場所が必要」という考えから、経験もいらず、体への負担も小
さい「ユニバーサルワーク」として事業化した。事業化にあたっては、
キューピー在職中からTSファームの研究や実習と経験し、TSファームと
同じ噴霧水耕(根に培養液を噴霧する栽培方式)でありながら水平設置
型で設備コストを抑えたシステムを開発し、秩父市内の空き工場の一角
に実証プラントを設置した。
当初から、地域における安定的な雇用確保を第一に、同業他社に勝つの
ではなく負けないこと、品質や生産技術の高度化により生き抜くことを
目的としている。
----
定年退職した高齢者が、地域の中で働くことのできる場所があるという
ことは、とても素晴らしいことだと思います。 11/3のブログにも書き
ましたが、植物工場は高齢者や障害をもつ方に適した労働環境を提供で
きる可能性をもっています。
ただ、私が最も強調したいことは、植物工場が現代の里山としての役割
を果たす可能性があるということです。
植物工場が、狭義の特定の人々により所有されることなく、現代の里山
として子々孫々に至るまで、九十九里町に暮らす人々の手により受け継
がれていくことが私の希望でもあります。
そのような植物工場を実現するために、考えなければならないことは
沢山ありますが、その中の一つに資金の調達という問題があります。
細かいことはさて置き、私は基金という形で資金の調達を考えています。
基金をどのように設立すればよいかという点については、九十九里町に
相談することにしました。
九十九里町には、九十九里町ふるさと創生基金条例による基金や、ふる
さと納税制度によるいわしの町「九十九里」応援基金などがあります。
恐らく良い提案が得られるものと思いますが、こちらのブログをご覧に
なり、もしも興味をおもちになった方がいらっしゃいましたら、ご連絡
頂ければ幸いです。
電子メールアドレス:Raputam@mail.com
2011年11月26日土曜日
2011年11月13日日曜日
九十九里町手記(番外植物工場編3)
私は、九十九里町で生活していらっしゃる、あるいは生活をしようと
考えていらっしゃる方々と共に、「里山」としての「植物工場」を、
この町に作ることを考えています。
「里山」とは、どのような意味をもっているのでしょうか。
----
「里山」とは、広い意味では里山林・田んぼ・ため池・用水路・畦など
がセットになった農業環境・農業景観のことを指し、狭い意味では稲作
農業に必要な肥料や木材、薪炭をとるための農用林(里山林)のことを
指します。 「里山」は、人間が長期にわたって手を入れ利用してきた
「文化としての自然」であり、日本人にとっての原風景とも呼べる景観
です。
---< 龍谷大学 里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センターから
引用 >---
「トヨタの森・フォレスタヒルズ探検隊」のホームページでは、「里山」
のことについて、楽しく学ぶことができます。
http://www.toyota.co.jp/moritanken/
----
私は、里山のことを、自然の循環サイクルの最小単位と捉えています。
そこでは、植物が太陽光(光エネルギー)を利用して、水と大気中の
二酸化炭素から炭水化物を合成(光合成)し、光合成では水を分解す
る過程で生じた酸素を、大気中に供給しているそうです。
さて、里山の外部から供給される光エネルギーの総量と、里山の内部
で消費されるエネルギーの総量との差が、私が里山から受け取ること
のできるエネルギーの総量であると考えます。 私は光エネルギーを
直接利用できないので、植物を通じて生命活動のためのエネルギーを
得ます。 これは、里山に生きる植物以外の殆どの生物(動物)に言
えることだと思いますから、里山に生息する動物と私は、生命活動の
ためのエネルギーを求めて競合する関係にあります。
そこで、人は長い年月をかけて、里山の植生を人が利用できるものへ
と変化させただけでなく、そこに生息する動物との競合を避ける工夫
を続けてきました。 つまり、人は里山から生命活動のためのエネル
ギーを受け取るばかりではなく、自らの活動エネルギーの一部を里山
に還元し、有用植物の生産性を高めてきたと考えられます。
私は、この「里山」を「植物工場」のお手本にしようと考えています。
考えていらっしゃる方々と共に、「里山」としての「植物工場」を、
この町に作ることを考えています。
「里山」とは、どのような意味をもっているのでしょうか。
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「里山」とは、広い意味では里山林・田んぼ・ため池・用水路・畦など
がセットになった農業環境・農業景観のことを指し、狭い意味では稲作
農業に必要な肥料や木材、薪炭をとるための農用林(里山林)のことを
指します。 「里山」は、人間が長期にわたって手を入れ利用してきた
「文化としての自然」であり、日本人にとっての原風景とも呼べる景観
です。
---< 龍谷大学 里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センターから
引用 >---
「トヨタの森・フォレスタヒルズ探検隊」のホームページでは、「里山」
のことについて、楽しく学ぶことができます。
http://www.toyota.co.jp/moritanken/
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私は、里山のことを、自然の循環サイクルの最小単位と捉えています。
そこでは、植物が太陽光(光エネルギー)を利用して、水と大気中の
二酸化炭素から炭水化物を合成(光合成)し、光合成では水を分解す
る過程で生じた酸素を、大気中に供給しているそうです。
さて、里山の外部から供給される光エネルギーの総量と、里山の内部
で消費されるエネルギーの総量との差が、私が里山から受け取ること
のできるエネルギーの総量であると考えます。 私は光エネルギーを
直接利用できないので、植物を通じて生命活動のためのエネルギーを
得ます。 これは、里山に生きる植物以外の殆どの生物(動物)に言
えることだと思いますから、里山に生息する動物と私は、生命活動の
ためのエネルギーを求めて競合する関係にあります。
そこで、人は長い年月をかけて、里山の植生を人が利用できるものへ
と変化させただけでなく、そこに生息する動物との競合を避ける工夫
を続けてきました。 つまり、人は里山から生命活動のためのエネル
ギーを受け取るばかりではなく、自らの活動エネルギーの一部を里山
に還元し、有用植物の生産性を高めてきたと考えられます。
私は、この「里山」を「植物工場」のお手本にしようと考えています。
2011年11月5日土曜日
九十九里町手記(45)
今日は、地元のあるお店を訪ねてみました。 こちらは、自家栽培、
自家製粉によるそば粉を使用した手打ちそばのお店です。
そば(盛りそば)は、両手の指の数に入るほどの好物ですが、若か
りし頃に塩尻のお店(田んぼの真ん中に建つ、農家のような佇まい
であったと記憶していますが、お店の名前は忘れました)で食べた
そばの食感が、そばに対する現在の私の基準になっています。
私なりの小さなこだわりで、初めての蕎麦屋では「盛りそば」を注
文することにしています(ちなみに、初めての中華飯店では炒飯)。
ということで、盛りそば(¥600)を注文すると、透き通るようでい
て色はやや濃い目、手切りの細麺に期待が高まります。
さて、この後のことはグルメ情報提供サイトなどにお任せすること
にして、今回はこちらのお店で、そばの種蒔きから収穫、製粉、そ
ば打ちまで体験できるというお話でしたので、そちらの方に参加さ
せて頂くことが目的でした。
そばの栄養価が高いことは、一般に知られていることだと思いますが、
Wikipediaによると、そばのアミノ酸スコアは92%もあり、穀物として
優秀な栄養価をもっていると説明されています。
「第6次改定日本人の栄養所要量」を参考にすると、成人男子が1日
に必要とする蛋白質の量は70g(女性は55g)だそうですから、概ね
体重の0.1%程度と覚えておけば良いのではないでしょうか。
そばの蛋白質含有量は、およそ12%(五訂増補日本食品標準成分表)
なので、170g程度のそばを食べると、一日に必要な蛋白質の量の1/3
程度が摂取できる計算になります(このときのカロリーは、およそ
614kcal)。 1日に1食はおそばを食べることができると良いですね。
自家製粉によるそば粉を使用した手打ちそばのお店です。
そば(盛りそば)は、両手の指の数に入るほどの好物ですが、若か
りし頃に塩尻のお店(田んぼの真ん中に建つ、農家のような佇まい
であったと記憶していますが、お店の名前は忘れました)で食べた
そばの食感が、そばに対する現在の私の基準になっています。
私なりの小さなこだわりで、初めての蕎麦屋では「盛りそば」を注
文することにしています(ちなみに、初めての中華飯店では炒飯)。
ということで、盛りそば(¥600)を注文すると、透き通るようでい
て色はやや濃い目、手切りの細麺に期待が高まります。
さて、この後のことはグルメ情報提供サイトなどにお任せすること
にして、今回はこちらのお店で、そばの種蒔きから収穫、製粉、そ
ば打ちまで体験できるというお話でしたので、そちらの方に参加さ
せて頂くことが目的でした。
そばの栄養価が高いことは、一般に知られていることだと思いますが、
Wikipediaによると、そばのアミノ酸スコアは92%もあり、穀物として
優秀な栄養価をもっていると説明されています。
「第6次改定日本人の栄養所要量」を参考にすると、成人男子が1日
に必要とする蛋白質の量は70g(女性は55g)だそうですから、概ね
体重の0.1%程度と覚えておけば良いのではないでしょうか。
そばの蛋白質含有量は、およそ12%(五訂増補日本食品標準成分表)
なので、170g程度のそばを食べると、一日に必要な蛋白質の量の1/3
程度が摂取できる計算になります(このときのカロリーは、およそ
614kcal)。 1日に1食はおそばを食べることができると良いですね。
2011年11月3日木曜日
九十九里町手記(番外植物工場編2)
私は古い人間ですから、野菜を機械的に生産するということに、正直
違和感をもっています。 自然の中で、農薬や化学肥料に頼らず野菜
を育てるということは、とても大切なことだと思います。 個人的に
は、閑居の周りに色々な野菜の種を蒔いては、芽が出て育つのを楽し
んでいます(実を収穫するまでには至りませんが)。
それでも、私が植物工場に興味をもつのは、それなりの理由がありま
す。
【1.植物工場と自然農法は、お互いに補完しあう存在】
【1‐1.産業の創出】
自然農法では、基本的に個人あるいは家族が経営の主体となるので、
いわゆる裾野産業は育ち難いと考えられます。この点、現在の植物工
場は多くの技術要素の集合体であり、それらを支える裾野産業が地元
に育つ可能性を十分にもっていると考えられます。
【1‐2.高齢者対策】
自然農法は、どちらかと言えば労働力集約的な面が強いと思いますが、
植物工場は、知識集約的な面をもつので、高齢者に適した労働の場を
提供できる可能性があります。
【1‐3.災害対策】
自然農法は、自然災害に対して弱い面をもつということは理解してい
ましたが、人的災害に対しても同様の弱い面をもつことに、今回初め
て気付きました。
その点、完全閉鎖型植物工場では、周囲の環境に左右されずに植物を
育てることができます。 また、緊急時には植物工場自体を備蓄食糧
が準備された避難所として利用することも可能だと思います。
【1‐4.遊休地の有効活用】
例えば、九十九里町にあるとされる、およそ119haの耕作放棄地の一部
に、植物工場を建設することが可能ではないかと思います。
【1‐5.地産地消と食品のトレーサビリティ】
地元で採れたものを、地元で生活する人々が安心して消費できること
が基本だと思います。 植物工場では、生産した野菜を地元のスーパー
マーケットやレストラン、給食施設や直売所を通じて、地元の人々の
最も身近な場所に届けることが可能です。
【1‐6.次の世代へ繋ぐ資産】
私が思い描いている植物工場は、いわゆる個人の資産となるようなも
のではありません。 例えて言うならば、九十九里町にある町立の学
校や病院のようなものですが、基本的にそれらの施設とも異なります。
私の考えの基本にあるのは、日本古来の里山です。 里山は、今を生
きる人々のためだけでなく、次の世代へ繋ぐことを考えて、そこに住
まう人々が守り続けてきた資産だと思います。 この件については、
次回に詳しくお話をさせて頂くつもりでいます。
【1‐7.野菜本来の姿】
植物工場で生産される野菜に、問題がないわけではありません。
だからこそ、植物工場と自然農法はお互いに補完しあう存在であると
考えます。 以下に、「病気にならない生き方」新谷弘実著の一節を
ご紹介しておきたいと思います。
----
紫外線は動植物に強いフリーラジカルを受けさせ酸化を促進させるの
で、植物はみずからの身を守るために抗酸化物質を体内に大量に作り
出す仕組みを備えています。 それが植物に多く含まれるビタミンA
・C・Eなどのビタミン類や、フラボノイド、イソフラボン、カテキ
ンなどのポリフェノールなのです。 こうした抗酸化物質は植物が紫
外線を受けたときに作り出されます。 つまり、ビニールなどで太陽
光線を遮断してしまうと、植物に降り注ぐ紫外線が減り、結果として
ビタミンやポリフェノールなどの抗酸化物質の含有量が減ってしまう
のです。
---- 途中略
私たちは食べ物からエネルギーをもらっているのですから、その食べ
物自体にエネルギーがなければ、いくら食べても健康にはなれません。
自然な環境で育った食べ物を食べない人間が、自然の中で強く健康に
生きられるはずがないのです。 あたなの健康を支えているのは、日
々食べている食事です。 その食事をどのような基準で選ぶかであな
たの健康は決まります。
違和感をもっています。 自然の中で、農薬や化学肥料に頼らず野菜
を育てるということは、とても大切なことだと思います。 個人的に
は、閑居の周りに色々な野菜の種を蒔いては、芽が出て育つのを楽し
んでいます(実を収穫するまでには至りませんが)。
それでも、私が植物工場に興味をもつのは、それなりの理由がありま
す。
【1.植物工場と自然農法は、お互いに補完しあう存在】
【1‐1.産業の創出】
自然農法では、基本的に個人あるいは家族が経営の主体となるので、
いわゆる裾野産業は育ち難いと考えられます。この点、現在の植物工
場は多くの技術要素の集合体であり、それらを支える裾野産業が地元
に育つ可能性を十分にもっていると考えられます。
【1‐2.高齢者対策】
自然農法は、どちらかと言えば労働力集約的な面が強いと思いますが、
植物工場は、知識集約的な面をもつので、高齢者に適した労働の場を
提供できる可能性があります。
【1‐3.災害対策】
自然農法は、自然災害に対して弱い面をもつということは理解してい
ましたが、人的災害に対しても同様の弱い面をもつことに、今回初め
て気付きました。
その点、完全閉鎖型植物工場では、周囲の環境に左右されずに植物を
育てることができます。 また、緊急時には植物工場自体を備蓄食糧
が準備された避難所として利用することも可能だと思います。
【1‐4.遊休地の有効活用】
例えば、九十九里町にあるとされる、およそ119haの耕作放棄地の一部
に、植物工場を建設することが可能ではないかと思います。
【1‐5.地産地消と食品のトレーサビリティ】
地元で採れたものを、地元で生活する人々が安心して消費できること
が基本だと思います。 植物工場では、生産した野菜を地元のスーパー
マーケットやレストラン、給食施設や直売所を通じて、地元の人々の
最も身近な場所に届けることが可能です。
【1‐6.次の世代へ繋ぐ資産】
私が思い描いている植物工場は、いわゆる個人の資産となるようなも
のではありません。 例えて言うならば、九十九里町にある町立の学
校や病院のようなものですが、基本的にそれらの施設とも異なります。
私の考えの基本にあるのは、日本古来の里山です。 里山は、今を生
きる人々のためだけでなく、次の世代へ繋ぐことを考えて、そこに住
まう人々が守り続けてきた資産だと思います。 この件については、
次回に詳しくお話をさせて頂くつもりでいます。
【1‐7.野菜本来の姿】
植物工場で生産される野菜に、問題がないわけではありません。
だからこそ、植物工場と自然農法はお互いに補完しあう存在であると
考えます。 以下に、「病気にならない生き方」新谷弘実著の一節を
ご紹介しておきたいと思います。
----
紫外線は動植物に強いフリーラジカルを受けさせ酸化を促進させるの
で、植物はみずからの身を守るために抗酸化物質を体内に大量に作り
出す仕組みを備えています。 それが植物に多く含まれるビタミンA
・C・Eなどのビタミン類や、フラボノイド、イソフラボン、カテキ
ンなどのポリフェノールなのです。 こうした抗酸化物質は植物が紫
外線を受けたときに作り出されます。 つまり、ビニールなどで太陽
光線を遮断してしまうと、植物に降り注ぐ紫外線が減り、結果として
ビタミンやポリフェノールなどの抗酸化物質の含有量が減ってしまう
のです。
---- 途中略
私たちは食べ物からエネルギーをもらっているのですから、その食べ
物自体にエネルギーがなければ、いくら食べても健康にはなれません。
自然な環境で育った食べ物を食べない人間が、自然の中で強く健康に
生きられるはずがないのです。 あたなの健康を支えているのは、日
々食べている食事です。 その食事をどのような基準で選ぶかであな
たの健康は決まります。
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