最近、閑居と職場のある東京を往復する電車の中で、養老孟司さんの
著書「バカの壁」を読み返しています。
この中の「第五章 無意識・身体・共同体」では、形骸化した共同体
についての解説があります。 今回は、この点について少し考えて
みたいと思います。
恥ずかしながら、私は、理想的な共同体は「家族」ではないかと考えて
いたのですが、養老孟司さんの言葉を借りれば、同じ屋根の下で暮らす
人々が、理想の一つとして目指すものの先に「家族」があったのかも知
れません。
共同体の在り方は文化(人々の生活様式の中で、特に言葉を用いて伝習
されるもの)の在り方と密接な関係にあり、人々が意味を失いつつある
中で、共同体が形骸化して行くことも頷けます。
問題は、本来ならば土に返るべき亡骸が、何故かあるべき姿に返らずに
在るということでしょうか。
私は、九十九里町に住まう人々との繋がりを求めて、此の地に閑居を構
えました。 そして私の求める繋がりは、「バカの壁」で「人間ならば
わかるでしょう」と表現されているものと、とても似ている感じがしま
す。 そのような文化が、今も健全な形で伝習されているならば、私の
日常生活において、人生の意味を見出せる場は、まさにこの町にあるの
ではないかと感じました。
2011年9月17日土曜日
2011年9月4日日曜日
九十九里町手記(41)
台風12号の影響で、週末閑居に戻ることができるかどうか不安でした
が(台風の被害に遭われた方々には申し訳ありませんが)、幸い交通
の乱れもなく、無事閑居に戻ることができました。
本日は、四年に一度の町議会議員選挙と、町長選挙の投票日に当たり
ます。 九十九里町ホームページを見ると、「行政情報」→「町の議
会」に、分かり易い説明があります。 東京に住んでいた頃は、所謂
行政(広義では立法および司法以外の作用、狭義では国家機関や公共
団体が、法律・政令その他の法規に従って行う政務のことだそうです)
に対する関心は薄いものでした。
少し脇道に逸れますが、地方公共団体とは一定の地域内の住民を構成
員として、行政を行うために国から与えられた自治権を行使する団体
のことで、その意味では千葉県も九十九里町も地方公共団体(普通地
方公共団体)です。
日本国憲法第92条では、地方公共団体を規定するために、法律でこれ
を定めるとしているので、結果できた法律が「地方自治法」です。
自治権は与えられましたが、その使い方は地方自治法で縛られている
ということでしょうか。
閑話休題
区議会議員選挙(他の議員選挙については言うに及ばず)と比べて、
町議会議員選挙がとても身近なものに感じられるのは、立候補する
方々が妙な肩書きを振り回すことがないからかも知れません。
さて、九十九里町ホームページにもあるように、九十九里町に生きる
私たちには、基本的に一人一人に自治権が与えられていることを自覚
して、行動する必要があるのではないでしょうか。
が(台風の被害に遭われた方々には申し訳ありませんが)、幸い交通
の乱れもなく、無事閑居に戻ることができました。
本日は、四年に一度の町議会議員選挙と、町長選挙の投票日に当たり
ます。 九十九里町ホームページを見ると、「行政情報」→「町の議
会」に、分かり易い説明があります。 東京に住んでいた頃は、所謂
行政(広義では立法および司法以外の作用、狭義では国家機関や公共
団体が、法律・政令その他の法規に従って行う政務のことだそうです)
に対する関心は薄いものでした。
少し脇道に逸れますが、地方公共団体とは一定の地域内の住民を構成
員として、行政を行うために国から与えられた自治権を行使する団体
のことで、その意味では千葉県も九十九里町も地方公共団体(普通地
方公共団体)です。
日本国憲法第92条では、地方公共団体を規定するために、法律でこれ
を定めるとしているので、結果できた法律が「地方自治法」です。
自治権は与えられましたが、その使い方は地方自治法で縛られている
ということでしょうか。
閑話休題
区議会議員選挙(他の議員選挙については言うに及ばず)と比べて、
町議会議員選挙がとても身近なものに感じられるのは、立候補する
方々が妙な肩書きを振り回すことがないからかも知れません。
さて、九十九里町ホームページにもあるように、九十九里町に生きる
私たちには、基本的に一人一人に自治権が与えられていることを自覚
して、行動する必要があるのではないでしょうか。
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