2015年1月25日日曜日

九十九里町手記(99)

偶然手にした新聞紙の切れ端に「理想の村 マリナレダ」という見出しがありました。
「マリナレダ」をWebで検索したところ、以下のホームページが見つかりました。

    https://ramonbook.wordpress.com/2012/08/11/marinaleda/

マリナレダは、スペイン南部、アンダルシア州の西部に位置するセビリア県の小さな村で、 1979年から村長を務めるゴリディリョが中心となり、村民の支援と協力の下で「平等」と 「共有財産」というコミュニズム(一般に、財産を共有することで平等な社会を築こうと する考え方)に基づく村造りを行っているそうです。

しかし、2012年8月には村長が失業者十数人を率いて州内のスーバーを襲撃し、略奪した コメや缶詰をセビリアで貧困家庭に配ったという記事が報じられています。

難しい問題ですが、何を以って「理想」とするのか、机上の空論ではなく、実際の生活を 支えるための実践的な考え方を身に付け、一人一人が協力し合える町造りを、一歩一歩 着実に進めていく他に方法はないでしょう。

マリナレダでは、住民の大部分が自らの手で設立した協同組合で働き、組合が所有する約 1300ヘクタールの農地は、12年に及ぶ長い闘いの末に勝ち取った土地だそうです。 この「共同体の所有地」で、農作物の栽培/加工を行い、仕事の内容に関わりなく、日給 47ユーロ、月35時間労働で月収は1,128ユーロということです。 (1128 / 47 = 24日、月35時間労働が間違いでなければ、約1.5時間/日の労働)

月収1,128ユーロは、日本円に換算するとおよそ15万円ほど。 年収180万円(税込)として、 九十九里町では夫婦二人で国民健康保険料が2万円/月程度、所得税は年収195万円以下5% なので9万円/年(7500円/月)、食費5万円/月、光熱費2.5万円/月などと思いを巡らせて いくと、今の日本式システムではとても余裕のある生活を送ることなどできないと感じてし まいます。

何かよい思案はないものでしょうか。

2015年1月12日月曜日

九十九里町手記(98)

「自由大学」に参加してみたいと感じた方々と、どのようにコンタクトをとればよいのか、 そしてどのように物事を進めていけばよいのかについて考えてみたいと思います。

先ず、今年の9月までは、こちらのブログで「自由大学」に興味を感じた方々とコンタクト をとらせて頂きたいと思います。 私は現在、平日は東京の企業に勤めるサラリーマンで、週末を閑居で過ごす生活を送っています。 このため、平日にご連絡頂いても、直ちに対応させて頂くことができません。 従って「自由大学」に興味のある方は、こちらのブログにコメントを残して頂くか、下記の 電子メールアドレスへメールをお送り下さい。 後程、こちらからご連絡させて頂きます。

Raputam@mail.com
高橋

その後は、「九十九里町に植物工場を作りませんか?」と併せて「持続可能な現代版里山 システム」の構築を目指すホームページを用意したいと思います。

次に、「自由大学」に関する基本的な仕組みについて考えたいと思いますが、その前に、 「形式」について少し触れておきたいと思います。
「選択の科学」という本の中に、以下のようなことが書かれています。

「形式は、根源的な混沌に備わった、大いなる活力と生成力を損なわずに、それを明確に 表現することができるだろうか? 形式は、さらに踏み込んで、秘めた力を開放し、不確実性を好奇心に変え、不完全性に思いを めぐらし、広大さを豊かさに変えることはできるだろうか? 私の考えは、是だ。 それこそが、形式が芸術において果たす役割なのだ。 形式は固定的なものではなく、常に 流動している」

つまり、何から手をつけてよいかわからないときや、掴みどころのないものを相手にする ときには、「形式」を取り入れることが有効だということです。 勿論、目標が明確になるに連れて「形式」を変化させていくことは必要です。

「自由大学」では、最終的な目標(成果物)を設定します。 「自由大学」の運営は、3人一組のチームを単位として、参加者全員で行います。 「自由大学」で取り上げる講座の内容は、その「自由大学」の最終的な目標(成果物)に より異なります。 例えば、私が考えている「(九十九里町)自由大学」では「持続 可能な現代版里山システム」の構築ですから、講義の内容もそちらに沿ったものになる でしょう。

最後に、一つ大事なことをお話しておきたいと思います。 それは「自由大学」の仕組み は多くの伝承により実現されるものであり、一朝一夕に実現できるものではないという ことです。 それは、ご参加頂いた方々の存命中に、最終的な目標を達成することはでき ないかも知れないという意味を含んでいます。

次回は、「自由大学」に参加してみたいと感じていらっしゃる方が2人以上集まりましたら、 これからの具体的な活動内容について、お話をさせて頂こうと思います。

2015年1月1日木曜日

九十九里町手記(97)

先ず、「自由大学」の定義から始める必要があります。
学校教育法では、
「学校は、国(国立大学法人法)、地方公共団体(地方独立行政法人法)および私立学校法第3条に規定する学校法人のみが、これを設置することができる」とあります。

これから述べる「自由大学」とは、学校教育法の規制を受けずに「学ぶ自由」を実現するための場であると定義できます。

一般的な教育機関(例えば学校)では、教育に必要な資源が、何らかの手段により予め用意されていますが、自由大学では教育に必要な資源を準備するところから始めます。
つまり、学ぼうとする一人一人が自由大学の運営に参加することで、固定した「役割」から解放されます。 具体的には、そこで学ぼうとする人は、あるときは生徒であり、またあるときは教師であったりします。

「自由大学」の規模は問題ではありませんが、一人では意味がないので、先ずは三人から始めましょう。 「自由大学」の目的はそれぞれ異なると思いますが、ここで述べる「自由大学」では、実学(一般に、空理空論ではなく実践・実理を対象とした学問)を基本にしたいと思います。理由は、「自由大学」の成果を、持続可能な現代版里山システムに活かすためです。
持続可能な現代版里山システムについては、後日再度お話させて頂くつもりでおります。

次回は、「自由大学」に参加してみたいと感じた方々と、どのようにコンタクトをとればよいのか、その具体的な方法について考えてみたいと思います。