福島第一原子力発電所の事故以来、九十九里町の住民の手による「植物工場」「人工高台」「発電所」「現代版里山システム」「自由大学」「小学校ボランティア(仮称:マイコンクラブ)」といった話題を、こちらのブログでご紹介させて頂きました。
当時から、既に6年余りの歳月が流れてしまったことを考えますと、早い時期に次の若い世代にバトンをお任せしたいと気持ちが急きます。
それはそれとしまして、まだ暫くの間は、何か町のお役に立てるかも知れませんから、今後もこちらのブログでご紹介させて頂きたいと思います。
「中身」と「入れ物」、どちらを先に用意しなければならないかについて考えてみますと、「人」について言えば、「入れ物」が先にあるわけで、「中身」は後から入れていくことになります。 当たり前のことのようですが、世の中ではこれと反対に「中身」に合わせて「入れ物」を用意するということも行われます。
私は、今まで「中身自体がそれに合わせて入れ物をつくる」という観点からお話しをさせて頂いてきましたが、今回は「入れ物」を最初につくるお話しです。
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K.レウィンは、集団を心理学的な力の場であるとし、個々の事象を集団の構造との関係でとらえようとする
【場の理論】を提唱した。 ― 世界大百科事典より引用 ―
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以前お話ししたように、「創発」が発現するためには、中身としてある程度の量が必要であることは直感的に理解できると思います。 加えて、中身としてある程度の質が重要であろうことも否めません。 ある程度の「質と量」、そしてそこから発現する「入れ物 ≡ 場」を考えたとき、純粋にそのようなことが可能なのかどうか、今の私にはわかりません。
けれど、小さな「場の種」を撒くことにより、中身が場に集まり、自発的に場が育つというシナリオは不可能ではないと思います(生物がそうであるように)。
そこで、暫くの間は「九十九里町に高齢者が活躍できる場をつくりませんか?」プロジェクトのお話しをさせて頂こうと思います。