2013年8月25日日曜日

九十九里町手記(88)

毎日暑い日が続いています。 閑居には温度計の備えがないのでWebで確認したところ、11時の時点で銚子は32℃とのことでした。 やや強めの風が吹いているお陰で、エアコンを点けずに窓を開け放した状態で何とかブログを書いていますが、一向に筆が進みません。

今回は、「集合知とは何か」(西垣 通著)から、「集合知」についてご紹介したいと思います。
本書を手にしたのは偶然でしたが、そこで紹介されている「群集の英知」(The Wisdom of Crowds, 2004)の一説は、今でも私の心を捉えて離さないものでした。

ここまで書いたところで、今週は断念しました(平成25年8月18日)。

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集合知の不思議なところは、一般の知識が専門家の知識を超える点ですが、この点を本書では、

集団誤差 = 平均個人誤差 - 分散値

で説明できるとしています。

この式が意味するところは、真値(正解)からの誤差が、一般の人々は専門家よりも大きいのですが、一人一人のバラツキ(分散≡多様性)により相殺され、結果として集団は正解に近い推測ができるということでした。

もっとも、本書では一人一人の推測値が平均として正しければ、集団としての誤差は少なくなるので、個々のメンバーの推測モデルの質がよいこと、しかも多様な推測モデルが用いられることが、集合知によって正解が得られる条件に他ならないと説明されています。

さて、話は「正解のある問題」から「正解のない問題」へ、集合知を適用できるかどうかという方向へ展開します。 いわば集団の「総意」あるいは「一般意志」を数理的に導くことが可能かどうかという問題です。

本書では、独裁(一人が総意を与える場合)または同値(全員が同じ価値判断を行う場合)を例外として、過半数投票は必ずしも集合知を与えないと説明しています。
つまり、「これが国民の望むことだ」などとは言えないということです。

例えば、「九十九里町に植物工場を作りませんか?」プロジェクトは、正解のない問題の一つです。 私は、このプロジェクトを通じて、以下のようなことを考えています。

1. 知識は与えられるものではなく、自ら学び得るものであり、学び得た知識は、広く他の人々と分かち合いましょう

2. 一人一人が正しい知識を得ることができるように、学びの場を作りましょう

3. 知識を文化と成し、後の世代に受け継ぎましょう

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