2011年9月17日土曜日

九十九里町手記(42)

最近、閑居と職場のある東京を往復する電車の中で、養老孟司さんの
著書「バカの壁」を読み返しています。
この中の「第五章 無意識・身体・共同体」では、形骸化した共同体
についての解説があります。 今回は、この点について少し考えて
みたいと思います。

恥ずかしながら、私は、理想的な共同体は「家族」ではないかと考えて
いたのですが、養老孟司さんの言葉を借りれば、同じ屋根の下で暮らす
人々が、理想の一つとして目指すものの先に「家族」があったのかも知
れません。

共同体の在り方は文化(人々の生活様式の中で、特に言葉を用いて伝習
されるもの)の在り方と密接な関係にあり、人々が意味を失いつつある
中で、共同体が形骸化して行くことも頷けます。
問題は、本来ならば土に返るべき亡骸が、何故かあるべき姿に返らずに
在るということでしょうか。

私は、九十九里町に住まう人々との繋がりを求めて、此の地に閑居を構
えました。 そして私の求める繋がりは、「バカの壁」で「人間ならば
わかるでしょう」と表現されているものと、とても似ている感じがしま
す。 そのような文化が、今も健全な形で伝習されているならば、私の
日常生活において、人生の意味を見出せる場は、まさにこの町にあるの
ではないかと感じました。

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