2020年8月14日金曜日

九十九里町手記(158)

前回のブログを読み返してみると、組み込みコンピュータ向けのウェビナーを開催してみたいと書いていましたが、ウェビナーのことは頭の中からすっかり抜け落ちていました。

年齢を重ねると、もの忘れが多くなってきますが、終戦の記録が刻まれたときが近づくある日、某テレビ局の番組を見ていたときに、ふと伝承という言葉が胸に浮かびました。 言葉の意味からすれば、口承の方が近いかも知れませんが、いずれにしても、如何にすれば私の外にある情報を私の中にある情報と同質のものと見なすことができるのだろうかということです。

書物やインターネットを通じて得た情報と、例えば口承により得た情報とを比べて、あなたならどちらの情報がより身近に感じられますか? 恐らく、この辺りに人間社会の限界があるのではないでしょうか。
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話は変わりますが、私の中にある情報を仮にプライベートメモリ(私的記憶)と呼ぶならば、私の外にある情報はパブリックメモリ(公的記憶)だと思いますが、Webで調べたところパブリックメモリ(国民の集合的記憶:キャロル・グラック、1993)、グローバルメモリ、ナショナルメモリなどの言葉は、(細かな違いを抜きにして)既に存在していることがわかりました。

でも、私の胸に浮かんだイメージでは、どちらも同質の情報(記憶)として認識されなければならないように感じたので、ここでは私の外にある情報をソーシャルメモリ(社会的記憶)と呼ぶことにします。 ただし、ソーシャルメモリという言葉は、「不倫~愛と背徳の脳科学~」(中野信子著)で紹介されているようで、それは脳内ホルモンのオキシトシン(幸せホルモン)と深く関係する脳の活動部位を指すそうです。

ソーシャルメモリは、以前会ったことがある人を認識する能力と関係し、人間関係の形成を速めるので、ある個体を別の個体よりも好むように仕向け、絆や愛着をつくる働きをするということでした。
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色々と考えた末に、私の中にある情報(記憶)と同質(区別ができないという意味)と捉えることのできる私の外にある情報(記憶)のことを、エクステンショナルメモリ(外延的記憶)と呼ぶことにします。

私の外にある戦争の情報や原発事故の情報を、自身のエクステンショナルメモリとするためには、少なからぬ時間と労力を必要とすることから、容易なことではないことがわかります。
よく「情報の共有」という言葉を耳にしますが、理想の情報共有の形は、SFに登場するような直接脳と脳を接続する方法以外にないように思えます。

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