私は古い人間ですから、野菜を機械的に生産するということに、正直
違和感をもっています。 自然の中で、農薬や化学肥料に頼らず野菜
を育てるということは、とても大切なことだと思います。 個人的に
は、閑居の周りに色々な野菜の種を蒔いては、芽が出て育つのを楽し
んでいます(実を収穫するまでには至りませんが)。
それでも、私が植物工場に興味をもつのは、それなりの理由がありま
す。
【1.植物工場と自然農法は、お互いに補完しあう存在】
【1‐1.産業の創出】
自然農法では、基本的に個人あるいは家族が経営の主体となるので、
いわゆる裾野産業は育ち難いと考えられます。この点、現在の植物工
場は多くの技術要素の集合体であり、それらを支える裾野産業が地元
に育つ可能性を十分にもっていると考えられます。
【1‐2.高齢者対策】
自然農法は、どちらかと言えば労働力集約的な面が強いと思いますが、
植物工場は、知識集約的な面をもつので、高齢者に適した労働の場を
提供できる可能性があります。
【1‐3.災害対策】
自然農法は、自然災害に対して弱い面をもつということは理解してい
ましたが、人的災害に対しても同様の弱い面をもつことに、今回初め
て気付きました。
その点、完全閉鎖型植物工場では、周囲の環境に左右されずに植物を
育てることができます。 また、緊急時には植物工場自体を備蓄食糧
が準備された避難所として利用することも可能だと思います。
【1‐4.遊休地の有効活用】
例えば、九十九里町にあるとされる、およそ119haの耕作放棄地の一部
に、植物工場を建設することが可能ではないかと思います。
【1‐5.地産地消と食品のトレーサビリティ】
地元で採れたものを、地元で生活する人々が安心して消費できること
が基本だと思います。 植物工場では、生産した野菜を地元のスーパー
マーケットやレストラン、給食施設や直売所を通じて、地元の人々の
最も身近な場所に届けることが可能です。
【1‐6.次の世代へ繋ぐ資産】
私が思い描いている植物工場は、いわゆる個人の資産となるようなも
のではありません。 例えて言うならば、九十九里町にある町立の学
校や病院のようなものですが、基本的にそれらの施設とも異なります。
私の考えの基本にあるのは、日本古来の里山です。 里山は、今を生
きる人々のためだけでなく、次の世代へ繋ぐことを考えて、そこに住
まう人々が守り続けてきた資産だと思います。 この件については、
次回に詳しくお話をさせて頂くつもりでいます。
【1‐7.野菜本来の姿】
植物工場で生産される野菜に、問題がないわけではありません。
だからこそ、植物工場と自然農法はお互いに補完しあう存在であると
考えます。 以下に、「病気にならない生き方」新谷弘実著の一節を
ご紹介しておきたいと思います。
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紫外線は動植物に強いフリーラジカルを受けさせ酸化を促進させるの
で、植物はみずからの身を守るために抗酸化物質を体内に大量に作り
出す仕組みを備えています。 それが植物に多く含まれるビタミンA
・C・Eなどのビタミン類や、フラボノイド、イソフラボン、カテキ
ンなどのポリフェノールなのです。 こうした抗酸化物質は植物が紫
外線を受けたときに作り出されます。 つまり、ビニールなどで太陽
光線を遮断してしまうと、植物に降り注ぐ紫外線が減り、結果として
ビタミンやポリフェノールなどの抗酸化物質の含有量が減ってしまう
のです。
---- 途中略
私たちは食べ物からエネルギーをもらっているのですから、その食べ
物自体にエネルギーがなければ、いくら食べても健康にはなれません。
自然な環境で育った食べ物を食べない人間が、自然の中で強く健康に
生きられるはずがないのです。 あたなの健康を支えているのは、日
々食べている食事です。 その食事をどのような基準で選ぶかであな
たの健康は決まります。
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